朝鮮半島の歴史に燦然と輝く?独特の形をした軍艦があった。その名を「亀甲船」というのだが。
16億ドルの亀甲船、結局焼却場へ… 廃棄費用のみ3000万ウォン予想
入力2023.06.27。午後4時52分 修正2023.06.27. 午後4時53分
慶南道と巨済市が約16億ウォンをかけて作った120tの大型亀甲船が焼却場から消えることになった。廃棄費用のみ最大3000万ウォンがかかると予想される。
NAVERより
しかしこの船、現存するものはなくて、史書の中にしか見られない。
「民族の魂を復元するニダ!」
亀甲船を復元するニダ!
そんなわけで、史書の記載なのだが。

……。
なんかこう、子供のオモチャ的な印象を受ける、よく分からない造形をしているのだが、「本当に使ったのか?」という疑問が指摘されているらしい。
ちなみに、この船を使ったとされるのは、韓国きっての英雄って事になっている李舜臣である。海戦に出て戦死したガッカリ英雄だが、本当に使っていたのは板屋船と呼ばれる重帆船であったとされている。

こんな形の船らしい。……だが、この板屋船も実在は疑問視されているとか。
尤も、日本の九鬼水軍が使っていたとされる安宅船が似たような形状になっていることを考えると、板屋船の方は実在した可能性はあるね。

そこはかとなく似ている気はする。いや、「似ている」だけで、船底など船として重要な部分は実際に海に浮かべられている板屋船の模型の方がちょっと怪しい。
で、話を戻して亀甲船なのだが、どうやら板屋船に似た平底船型の船体に金属製の屋根をつけた感じの船だったのでは、ということになっているらしい。
ただ、使ったかどうかはよく分かっていない。李舜臣の甥の李芬が著した『李舜臣行録』には、登場するが、日本側の史書にはその記述がない。日本軍を大いに苦しめたならば、載っていそうなものだが。
作ってみるニダ
しかし、韓国にとっては憎き日本の軍を追い払った誇り高き船である。実在したハズだ。映画が史実になってしまう国だからか、実際に作ってみることになったらしい。
3階構造の亀甲船を復元して観光商品に
2009.12.11 08:37
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時、倭寇を撃退した亀甲船が復元され、観光商品として活用される。
中央日報より
構造もよく分かっていないのだけれど、とにかく作ってみると。

こんな感じのオモチャなら良かったんだけど、実際に海に浮かべるとなるとそう簡単な話ではなかったようで。
道はまず来年末までに亀甲船1隻を復元し、巨済玉浦沖に浮かべる。玉浦沖は、忠武公・李舜臣が1592年5月7日、亀甲船なく板屋船だけで日本水軍に初めて勝利したところ。
中央日報より
さらっと嘘を書いているところが凄いな。李舜臣は、海戦に勝ってはいないんだが……。
3階構造の亀甲船は1階が武器・食物倉庫で、2階は弓、3階は砲を放つところだった。この亀甲船は全長25.6メートル、幅8.6メートル、帆を除いた高さが6.06メートルで、中央に12.8メートルと11.3メートルの帆が設置される。
中央日報より
記事には詳細な寸法が書かれている。
だが、一番近い時代に書かれたハズの「李舜臣行録」にザックリとした説明があるだけだ。そもそも、「李舜臣行録」は李舜臣の甥が何年も経った後で記したものなので、正確性についてもちょっと怪しい。
だが、その200年後に編纂された『李忠武公全書』には、構造についての記載があるらしく、どうやらこの時の復元はこの記述に基づいているらしい。
……本当に大丈夫か?
復元に16億ウォン
で、巨額の費用をかけて建造してみたのは良いんだけど、結局、目論み通りとはならなかった。いや、船の形だけ模して、現代の船にしてしまえば良かったんじゃ無いのかな。製造図面や技術も残っていないのに、無理するから。
この亀甲船模型はキム・テホ国民の力議員が慶南道知事時代に進行した「李舜臣プロジェクト」の一環として2011年に完成した。当初乗船体験など観光用に使用しようとしたが、完成してみると揺れが激しく雨漏りするなど管理が難しく観光客を乗せずに数年放置された。製作会社が国内産「金剛松」を使うという契約を破って80%以上外国産木材を使ったことが明らかになり、メーカー代表が拘束されたりもした。
NAVERより
「揺れが酷く」というのは、構造的に重量バランスがおかしかったのと、平底船型を採用したことが要因だろう。韓国お得意のトップヘビーの伝統というヤツだ。平底船型は、喫水が浅くなることと戦隊の幅が増えることで基本的には静安定性を確保できるのだが、それは背が高くない場合に限る。背を高くしちゃうと喫水が浅いことの悪影響が……。
ところで、この船、1隻だけ復元されたのかと思ったら、どうやらあっちこっちで競うように作られていたらしい。
雨水が続く…穴を開けた麗水亀甲船
入力 2016.05.24 18:17 修正 2016.05.27 21:03
壬辰倭乱とチョン・ユジェランを勝利に導いた不滅の艦船である亀船内部で雨水がずっと漏れながら不良乾燥論議が提起されている。
全羅南道麗水市中央洞李舜臣広場前にあるこの亀船は麗水市が2012年8月から1年6ヶ月にわたって「全羅左水営亀甲船製作・復元事業」で建造して陸上に展示中だ。
韓国メディアより
麗水市で作られた亀甲船も雨漏りして大変なことに。こちらは二階建て構造らしいのだが、雨漏りするのは変わらないのだとか。


隙間をビニールで塞いでいるなど、明らかに作りが悪い部分が目立つ。塗装などが施されている気配もないし、そもそも素人がみても雨仕舞い出来る構造でもなさそうなのだ。
なお、この船は26億ウォンかかったそうな。
管理に困って競売にかけたが
でまあ、「民族の魂」を作る!と、あっちこっちで何十隻も作られた亀甲船だが、まともな船は一隻も残っていないらしく、普通の船に側だけ付けたシロモノが生き残っている程度。頑張って木造で作っちゃったヤツは、軒並み丘で展示されるか廃棄されるかという運命らしい。
全長25.6m、幅8.67m、高さ6.06mに達する亀甲船の模型は、先月16日8回目の入札で60代の女性に154万ウォンに落札された。 落札者は、「亀甲船を所有地に移し、教育目的で使う」と話した。しかし、移送費用が1億ウォンに達する上、移送予定地が閑麗海上国立公園で許認可問題が発生した。結局、引渡し期限の今月26日までに亀甲船を移送出来ず、巨済市は落札者に27日契約解約を通知した。
NAVERより
なお、先日、処分する前に入札が行われたらしいが、落札者は154万ウォンで落札したんだとか。それもまあ悲惨な話なんだが、移送費用がえげつないことになってしまう他、移送予定地で許可をとっていなかったらしく揉めてその話は無かったことになるという残念な結果に。
挙げ句に、廃棄費用として2,000万~3,000万ウォンが必要となったよと言う悲しいオチがついた。
まあ、いつも通り「韓国あるある」ではあるんだけどね。……魂、何処行っちゃったんだろうねぇ。
ああそうそう、読み物として非常に興味深かったのがこちらの記事である。

詳細は省くが、亀甲船が実在したとすれば、非常に操船性の悪い鈍足なシロモノだったのでは?という結論に至っている。これで、日本側に大勝したといわれましても。
コメント
こんにちは。非常に胡散臭いですね。
とくに大砲積んで強火力あった説は。
理由は2つあるす。
①サムネや写真から解るように帆船のような1本キール(竜骨)の船でない。
東アジアでは日中韓とも1本竜骨を作る硬質な木材がないので、どうしても箱型船底の構造船にならざる得ない。でも、コレだと波を間切り難いので、船足は遅く機動力も外洋航海能力も低い。そして西洋帆船のように断面が逆三角でない為に、起き上がり能力に掛ける。つまり火砲の一斉射撃などできない。やれば転覆しますよ。当時は推進火薬なく、黒色火薬ですから、反動はやたら大きい。
それに丈夫な1本キールを持たない構造では、衝角による頭突き攻撃もできない。
②基本的に敵船への移乗攻撃の時代だった。秀吉の出兵の四年前にドーバー海峡でアルマダ海戦があり、砲撃戦を主力にした海戦はこれが史上初なんですね。その時にアウトレンジの砲撃した英国軍でも、未だ敵船の外殻を破壊する砲力は持たず、結構に燃焼剤を積んだ特攻船での焼き討ちとかを多用してる。
で、その英国海軍がアジアに進出してくるのは、オランダとスリランカ周辺を争った時で先の話。つまりアジア海域は移乗戦闘(斬込み)主体のスペインやポルトガルの影響下にあり、砲撃戦の概念すらなかったと思われる。仮にあったとしてもテクノロジーが追いつかない。
海賊映画みたいな砲撃やるには、彼我の距離200㍍で敵船に損傷させ得る有効射程が必要で、この時代に舷に並べる事ができたのは、旋回砲(大型火縄銃)かフランキ砲。どちらも敵の上甲板の陸戦要員を、斬込み前に掃射する武器で、艦船同士の対決には無力に近い。
①と②を考えるに、火力ある亀甲船も、
衝角による水面下の(和船への)攻撃も
作り話ぽいと想うです。そして敵船への移乗戦闘ならば、応仁の乱いらい1世紀以上、戦国だった日本の武士が劣るとは到底思えない。そんなに白兵戦に(朝鮮)が強いならば、そもそも倭寇にあれほど
怯えないでしょ????????????
悪いけど亀甲船の大活躍というのは創作なのではないかなぁ。
いま書いていて想うたのですが、戦国時代の近世の事の方が、つい数日前のプリコジの乱よりも想像がつきますね。
現代史は古代ローマよりも解らないものなのかも知れません(笑)
肩の力を抜いて読める記事という位置づけだったので、さほど亀甲船の能力検証に時間を割かなかったわけですが、史書(本当に史書扱いで良いかは議論の余地がありますが)によれば、強力な火砲を備えていたらしいですね。合計13門。
木製の平底船で強力な火砲をぶっ放すのはロマンがありますが、しかし現実的にそんなことが可能だったのかは不明。
前方に虚仮威しの1門があったというのであればわかりますが、側面の砲門は後の創作で、弓矢がメインだったのでは?という気がしてなりません。
多分、「日本軍に勝った」→「同じような型の船があったはず」→「隻数は誤魔化せないから装備が強力だったんだ」→「そうだ、砲を積んでいたことにしよう!」という連想ゲームだったのでは。
日本側の安宅船は大砲を多少搭載していたようですが、軽量であるために大砲を撃つと船が不安定になったという話もあり、信長が作った鉄甲で船の 外板を覆った大型安宅船でも、大砲3門を船首側に設置して使っていたようです。しかし、鉄甲外板を使ったお陰で船体が重くなって重鈍だったらしく、この様式の船は増えなかったようですね。
亀甲船が使っていたとされる火砲はそれより威力が劣るとしても、やはり側面からぶっ放すには少し無理があったのでは?と愚考しております。
ちなみに再現船の扱いについては、まぁ責めるのは気の毒ですよ。
米国だって、アラモ砦跡に行ったら、
ゲーセンまであるアーケードみたいな商店街に囲まれて、レジェンドもへったくれもない有様でしたからねぇ。
アラモ砦跡、そんなことになっているとは。
まあ、日本でも客寄せのために、史実とは全く関係ない格好のコンクリート製のお城つくっちゃったりしますから、仕方がありません。
文化材と、観光ではちょっと方向性が違いますからね。
木霊さま 皆様 こんばんは
それでは肩くにゃくにゃで(笑)
制作時の木材産地偽装による施主のポッケナイナイと逮捕・懲役刑、、、&、、いちおう労働者賃金等、制作時の利益チューチューは済んでますね(笑)
で、完成後、ブームに乗った日本サマアミロ観光。も一通り回って、、、その後、雨漏り・不具合あったかもですが
現実の韓国一般ピーポー?は、F1サーキット同様、そんなのあったっけ? と覚えていないんじゃないかな?おそらく木霊さんや楽韓さんの方がよく覚えてる(笑)
すなわち、このお舟模型は立派に役割を終えたと言えるでしょう。
惜しむらくは単なるゴミ焼却で終わりそうなこと。
木材なんだから、コークス・瀝青炭の代わりにはならなくとも 褐炭やゴミ発電燃料に使えば、死してSDGsの役に立つ。。。
なんですがアナログ嫌いの国民性は日本発ゴミ発電など特許切れでも技術導入などしていない可能性が高いですね。
だとすると、おそらく良品質炭は何十年も前に堀りつくした北朝鮮なら、湿気た木材等・低品質材料を燃やすボイラー/発電所を持っていそうで、だとすると今から韓国内で立ち上げるより効率的ですね。
是非とも北朝鮮と輸出交渉してください(笑)
そういえば、F1サーキットの話もありましたねぇ。
USJを誘致するとか、ディズニーランドを誘致するとか、レゴランドを誘致するとか。
あ、USJには希望が生まれたんだっけ、最近。
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20230327002500882?section=search
さておき、楽韓さんのところでも扱っていたこの亀甲船ネタですが、なかなか残念なことになりました。
脱臼しそうな勢いで、肩の力は抜けたわけですが、調べるとかなり面白い。
そういえば、支那は中古の空母を買って、新品に改造した実績がありましたから、支那に買って貰うのも良いかもしれません。
こんにちは。
何でもかんでも記録を残す性癖のある日本側に、記録が全く無いところでお察しなんですが。
※それだけの強敵、撃沈でもしてれば報償目当てで書かないわけ無いし、逆に撃退されていれば「こんなバケモノが!」って書いたでしょうし。
それに、あの当時の火砲ですから、連射間隔は結構開いていたでしょうし、照準だって揺れる船の上ではどうにもこうにもだろうし……いわゆる「葡萄玉」を至近距離にバラ撒くか、「連環の計」でもして安定させて遠距離射撃に徹するとかすりゃ、使い道もあったでしょうけれど。どう見ても俯角も仰角も大して取れなさそうですよね。おまけに船自体が鈍重で、砲を任意に指向出来たかどうか。
どう考えても「ぼくのかんがえたさいきょうぐんかん」の域を出てないですよね……
※「連環の計」は、実は赤壁のアレは用法の誤りらしいですが……今ググって知りました。
※亀甲船、外は固めてあるけど、内部に火矢でも飛び込んだら一巻の終わりでは……
自分で資料にあったわけではないので、それらしい資料は見つかっていないというだけなんですが。
それでも、日本に資料があれば大騒ぎしそうですよね。
まあ、火砲の下りも、結局は200年後の記載ですから、基にしても仕方がありません。
もしあったとしても、彼の国のイージス艦と同じで、足を止めてぶっ放すのが定石かもしれませんよ。
百歩譲って、再原図通りの戦力であったとしても。
(アニオタ的例えで済みませんが)ガンダムは、実は戦略的には1年戦争の推移にほとんど影響していない(局地戦術レベルでは、指揮官だのエースだの墜としてますが)という話もあって、1隻こんなのが居たからって大局は変わらない(相手にしなければ良い)のですよね。
※同じ意味で大和武蔵は……ってのは悲しくなるから止めます。
東郷元帥がイスンシンに言及した下りも、公的発言としては記録がなく、それを聞いたのはどこの馬の骨だかの記者ひとりしか居ない、のでしたか(それも在日だったか朝鮮籍だったかの記者だかだと聞いた覚えがあります)。
事ほど左様に「こうあるべき」で「話を盛る」事に抵抗がなく、「事実より真実」の国民性の人たちですから……
※砲に関しては、大英帝国の戦列艦でさえ、「発砲はピストルの距離」だそうで。そもそも、榴弾が無い時点で、木っ端船の大軍相手に発砲しても暖簾に腕押しなんですよね……しかも撃つために横腹曝したら、そもそも鈍い船、良いように死角に入られてたかられたのじゃ無いかと……
大和や武蔵は旗艦として使う前提ですから、大東亜戦争の時であっても小回りの効くお供がいなければデカい的になりますよ、流石に。
そして、大和の最期の戦いとなった天一号作戦では、途中から駆逐艦の脱落が目立ち、結局、沖縄で座礁させて足を止めての固定砲台にするという特攻作戦担ってしまいました。制空権が確保できないような状況下での成功率の極めて低い作戦でしたが、温存しても今後使いどころがないという判断だったみたいですね。
亀甲船は、実際に李舜臣が使ったという記録が無いので、なんとも。
というか、海戦で華々しい活躍があったとされているのは後の創作であるという説の方が有力ですから。そして、亀甲船ならぬ亀船(亀甲船のモデルになったとされる船)の記述は李舜臣が登場する前からあり(形状は明らかにされていない)、これも何というか「ロマン」だったのでは、と。
まあアレですよね、海戦勝利なら証拠は海の底なんで、日本も否定はできまい!って腹なんでしょうね。
お話の通り、砲戦するには射程かありえない。砲兵隊将校であったナポレオンは大腿に槍だか銃剣だかの刺傷を受けてますが、これはフランス革命時期でも、「砲兵が白兵戦に巻き込まれるくらい」に「射程が短かった」事を意味しますね。
陸戦でコレなんだから上下動する船戦では至近距離でないと当たらないでしょう。砲身にライフリングないから離れると真っ直ぐ飛ばないし。
滑空式という点では当時の小銃(前装式マスケット銃)も大砲も同じですからね。マスケット銃の射程が狩猟用空気銃と同じくらい(最大でも80㍍くらい)ですから、100メートルないでせう。ネルソン提督が仏のマスケット手に撃たれたのも、
「まさか当たらないだろ」とタカをくくって上に出ていた部分もあったでせうし。19世紀でコレだもの。
砲撃するより、焙烙(手投げ弾)の投擲の方が効果的だったでせう。
ありえませんね。
船の側面配備の火砲なんて、横並びになった時に、相手の土手っ腹をぶち抜くくらいの用途にしか使えませんから、さもありなんと。
この時代の韓国の船にも火砲は積んであった「らいし」というのは、歴史書にありますが、ご指摘のように手榴弾レベルのものを投擲したほうが早そうです。