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「仏像の手首がなくなったのは日本のせいニダ」と言い出す韓国

歴史建造物
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またかよ。

“国立中央博物館の仏像の手が消えた”…抱川龍寺出土の鉄仏2基ミステリー

更新日 2024-05-15 02:242024年5月15日 02時24分

京畿道抱川市白雲山の寺である興龍寺跡から出土された後、国立中央博物館が保管中の仏像2基の手部分が消えたことが分かった。博物館は「(移管後に)手が消えたのは事実」とし、経緯の把握に乗り出した。

東亜日報より

付き合いきれないんだが。

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貴重な仏像の管理すら満足に出来ない

発掘された鉄仏

この話は、Money1様のところでも取り上げている話なんだけど、「またか」と思ったので、その辺りも含めて言及しておく。

韓国「仏像の両手首を紛失」
韓国は文化財の保護をきちんと行える国ではありません。その証拠のような報道が出ました。韓国メディア『東亜日報』が以下のように伝えています。↑『東亜日報』の報道より。左は景福宮勤政殿に展示された当時の写真とされています(1930年)。確かに手首

Money1様のところでは「韓国は文化財の保護をきちんと行える国ではありません。」としているのだが、全く同感である。

改めて、どんな話かは整理しておく。

問題の仏像はこちら。

黄色の破線で示すように、発掘された時に映っている写真にある「手首」がなくなっていることがわかる。

日本国内では珍しい鉄製の仏像だが、支那や朝鮮半島では割とメジャーな素材らしい。

その中で、鉄造による仏像、鉄仏は、中国や韓国では比較的メジャーな素材ですが、わが国では古い像としては100体ほどしか知られていません。しかも、遺例のほとんどは関東と中部地方にあり、関西には4~5体ほどしかまだ確認されてなく、本像はその数少ない例の一つなのです。ちなみに滋賀県においては、本像以外ではいまだ古い鉄仏は発見されていません。

大津博物館のサイトより

大津博物館のサイトでは、平安鉄仏と呼ばれる日本最古の鉄仏を紹介している。平安時代に作られた仏像は数が少なく、恐らくは朝鮮半島辺りから技術がもたらされたものだろうと思われる。日本で鉄仏がメジャーにならなかったのは、鋳物で仏像を作ると細かい表現などが難しいからだとされている。

朝鮮半島の仏像は支那から伝わった技術によって作られたと思われるが、問題の手首を失った鉄仏が如何なるものかについては記事では余り詳しくは言及されていない。見た感じ、中空の鋳物として作られた感じなのだけれども、それなりの技術力を要する繊細な仏像のように見受けられる。ただ、手首のところ、穴が空いていて、手首から先ははめ込み式だったっぽいな。つまり、おそらく別パーツだったというわけだ。

仏像は統一新羅末期の僧侶である道宣国師が興龍寺の前身である内院寺を創建する際に製作したと推定される釈迦如来仏と地蔵菩薩像だ。

東亜日報より

統一新羅時代とされるのは668年~900年頃であり、「興龍寺の前身である内院寺を創建する際」というのは9世紀頃のお話であろうと思われる。

ただ、「推定される」のは、この遺跡から出てきたからであって、それは発掘された当初から分かっていた話。つまり、それ以降、キチンとした調査は行われていないという意味でもある。

国立中央博物館に保管

で、発掘されたのは2基の鉄仏で、片方の写真しか紹介していないので、もう片方も一緒に映っている写真をまず紹介しておきたい。

写真は写りが宜しくないのだが、手首があったことはこの写真からも見て取れる。

出土後、1925年に朝鮮総督府博物館に移管され、1945年12月に国立中央博物館ができた後もずっと国の所有として管理されてきました。

東亜日報「国立中央博物館の仏像の手が消えた」より

遺跡の発掘が行われて出土したのが1924年のことで、朝鮮総督府博物館に移管されたのが1925年である。

こちらの2つの記事でも紹介したのだが、朝鮮併合時代に日本は韓国における史跡発掘を積極的に行っている。

実は朝鮮半島においては王朝が変わる毎に積弊清算と呼ばれる過去の歴史の否定を行うやり方が主流で、仏教を否定する時代に多くの史跡が破壊されてしまった。

この興龍寺跡の発掘に関しても、当時の日本政府が費用を出して行われ、その結果、発掘物を朝鮮総督府博物館に収蔵したというのが歴史の流れである。当然、その当時の発掘状態を記すために、写真を撮影して収蔵している。キャプションを見ると、撮影は1930年に景福宮勤政殿に展示された当時に行われたものであるらしい。

また、当時の朝鮮総督府が作成した「興隆寺発見鉄仏と輸送」文書にも「釈迦牟尼仏の手は右手の指4本が破損している」、「地蔵菩薩像は右手の親指が破損している」と書かれている。

東亜日報「国立中央博物館の仏像の手が消えた」より

朝鮮総督府も作成した資料「興龍寺発見鉄仏と運送」に当時の破損状況を記しており、丁寧に扱われていた様子が窺える。

日帝のせいニダ

で、龍興寺の僧侶が「手首がないニダ!どこやったニダ」と騒いだというのが冒頭のニュースで、現在保有している国立中央博物館は「知らない」と回答。

博物館の関係者は「日本統治時代や6・25戦争中に鉄仏の手がなくなったと推定される。正確な経緯の把握は難しい状況だ」と話した。

東亜日報「国立中央博物館の仏像の手が消えた」より

ちょっと意味が良く分からないが、国立中央博物館は、朝鮮総督府時代になくなった可能性と、6・25戦争(朝鮮戦争)時代になくなった可能性を口にしている。

しかし、「国立中央博物館は、手の部分がそのまま残っている1930年の景福宮勤政殿の展示写真以降、関連記録がなく、経緯の把握に苦労している。」という杜撰なことを宣っていて、つまり「資料がないから分からないニダ」というわけだ。

調査に乗り出したというけれども、何を調査するつもりなんだろうね。

石窟庵の時にも、「日本が仏像を持ち去ったニダ」と大騒ぎしたのだけれど、結局、そんな事実はなかったことが後に分かっている。石窟庵の復元に関しても色々とおかしな風になってしまったようだし、他の遺跡も似たり寄ったりということだ。韓国においては、この手の文化財を保護するという発想が薄く、管理は結構杜撰である。

今回も似たような経過を辿る可能性がある。折角、貴重なものが発掘されたにも関わらず、手首から先は行方不明になっているとは。勿体ない話である。しかし、2基あって、2基とも手首から先が無くなってしまうと言うのは、どういうことなんだろうねぇ。

今も昔も朝鮮半島は、手首をくるくるさせながら外交をしているので、外れてなくなってしまったことは何とも皮肉な感じはするんだけどもね。

コメント

  1. 山童 より:

    ひさしぶりに劣化500%の修復破壊の記事を読み直して????う!
    人類の遺産をとか言うだけムダな連中なので????う他なし。
    んで、タマネギが復活して竹島に違法上陸したんですっけ?
    懲りねーというか、ユンユンがどう頑張ろうっても、そもそもそういう国民性だからどーにもならない。
    縁を切りたし、されど緩衝は必要だし。
    映画ワールドウォーZみたく、北と枕を並べてゾンビで全滅してくれればどんなにありがたい事か。

    • 木霊 木霊 より:

      いつも通り、安定の韓国節でありました。
      別にそれはそれで良いのですが、文化財を大切にして欲しいとは思います。正直、今の韓国の文化よりはよっぽど貴重な(失礼。

  2. 砂漠の男 より:

    美術品の管理ができない韓国、はつとに有名な話。
    フランスは、韓国への美術品貸し出しを公式に拒絶してるしね。
    日本は関係なし。

    • 木霊 木霊 より:

      観光資源のない韓国ですが、それなりには文化財もあるのでもう少しちゃんと整備して欲しいところ。
      ……難しいですかねぇ。

  3. 七面鳥 より:

    こんにちは。

    そもそも、仏教を虐げてた歴史のある国が何を以下略。

    とはいえ、手首だけ無くすとはなかなかですよね。
    運んでる最中に落して気付かなかったか、収蔵中に落っこちてそのままか……
    そもそも今までまともに収蔵も展示もしてなかったのが丸わかりなのがなんとも。

    まあ、「サイコロをレンチンして炭にした」にはまだ届きませんが……