休日に扱うには、もうちょっと軽めの記事が良かったかも知れないけれども。
デジタル教科書で学校現場はどう変わる メリットは?課題は?
2025年2月16日 16時41分
学校現場への導入が検討されている「デジタル教科書」。
14日、文部科学省の作業部会は2030年度にも「正式な教科書」として位置づけ、新たな運用を始めたいとした中間案をまとめました。
子どもたちの学習方法はどのように変わるのでしょうか。
NHKニュースより
うーん、メリットがあるとは思うんだけど……。小中学生には、導入しないほうが良いのでは?
目的と手段が入れ替わってない?
デジタル教科書はキケン
オウベイガーの皆さんは、どうしていらっしゃるのだろうか?それとも、政府の推進機関にはそういう方々は参加していないのか。
【北欧の教育最前線】デジタル教科書の見直しへ スウェーデン
2024-04-26
スウェーデンでは、行政手続きや電子決済サービスをはじめとして社会のさまざまな場面でデジタル化が進んでいる。それらをさらに進め、イノベーションを促進してデジタル化の可能性を追求しようという国家戦略を描いている。学校のデジタル化はその中で重要な役割を担う。しかし一方で、近年、デジタル版ではなく印刷媒体の教科書を見直す動きが広がっている。
教育新聞より
こんな話が2023年頃からチラホラと聞こえている。
実際のところ、文部科学省の作業部会はデジタル教科書の推進に前のめりのようではあるが、本当にこれを推進する必要があるのかは疑問である。
もちろんメリットがあるのはわかる。音声や画像、動画などがあれば学習の手助けになるのは間違いないだろう。ただ、個人的に仕事を進めるうえで感じているのは、トラブルがあったときにどのように対応できるのか?という話がしっかり決まっていないと極めてキケンな話になるように思う。
何がキケンかといえば、デジタル教科書にしてしまった後、生徒が「タブレットが動きません」「パソコンが起動しません」「充電を忘れました」などという事を言いだしたら、どのように対処するのだろうか?
聞いてみると、現状でもその手のトラブルは発生しがちで、予備のタブレットがあるような話は聞いたが、紙の教科書がある前提でサポート的にタブレットを使うのであればまだしも、紙の教科書がなくなると、タブレットが動かないだけで授業を受けられない事になってしまう。
それどころか、学校でネットワーク障害が発生するような事態になった時、それって先生達が対応できるの?甚だ疑問である。
授業の準備に
学生時代のことを思い出すと、先生の能力次第で子供達はその科目を好きになったり嫌いになったりする。
一方、授業の準備に時間がかかることや、学習目標を達成するだけでなく、子どもたちのデジタル端末を活用する能力も上げていかなければならないことが課題だと感じているということです。
NHKニュース「デジタル教科書で学校現場はどう変わる」より
ただ教科書を読むだけの授業など、聞くだけ無駄。僕なんかは、授業は殆ど聞いていなかった口ではあるが、それでも成績が良かったのは好きな先生の授業が受けられる科目だった。自分の得手不得手は勿論あったが、それ以上に先生の影響は大きかったように思う。
こうした体験は誰しもあって、親父殿は教員を長く務めたが、間違いなくそういった事はあるだろうと、言っていた。
そして、優れた教師はしっかりと授業の準備をする。デジタル教科書になると、配布されている教科書だけを使うのであれば問題なかろうが、何かちょっと工夫しようとして教材を作り込むとなると、途端に時間がかかるようになる。
前職の時に、やたらと会議資料を作り込む人がいたが、ハッキリ言ってその手の準備なんかしても紙の無駄である。参加者の多くに伝えたい情報は概ねA4用紙で1枚程度に収まる。それ以上の情報をインプットしても、伝わらない事が多いのだ。
現代の先生方はただでさえやることが多い。デジタル化が進んで楽になるならばともかく、資料作りなど寧ろ時間がかかるようになるのであれば、それは果たして生徒のためになるのか?
寧ろ、「優れたデジタル教科書」ができたら、教員は不要になるのでは?とすら思うのである。
オンライン授業の悲哀
そういえば、武漢ウイルス感染症が蔓延した時に、学校閉鎖をした時期があった。「授業はオンラインで行います」という、緊急対応をして先生たちはとても困ったらしい。
不登校中学生にオンライン授業 県教委配信、中学生400人登録
2024年9月16日 11時00分
不登校の中学生に双方向オンライン授業を行う千葉県教育委員会の「エデュオプちば」が好評だ。6月の開始から3カ月で登録者は400人を超え、今も増え続けている。主要5教科の授業に1日平均約100人が参加。夏休みには音楽や美術、食育などの授業や高校説明会も開催した。授業を通じてコミュニケーション力向上を図る試みは珍しいという。
朝日新聞より
現在でもオンライン授業を行っているケースはあって、不登校になった子供に対する授業のツールとしては悪くはないのだろう。
ただ、これが最善かというと、教師からは結構不評だったらしい。
社会の先生が「今日は何の日?」という問いかけから授業を始めるのを見て、気づいた。大切なのは画面の向こうの生徒たちとその瞬間を共有していること。「勉強を通じてコミュニケーション力を高めているつもり。みんな知識欲があるし、だれかとつながっていたいんだと実感します」
朝日新聞「不登校中学生にオンライン授業」より
教師にとってライブ感は何よりも大切で、子供達からのリアクションを見て子供達の理解度を感じ取っていく。必要に応じて説明を足す。必要なければ説明を飛ばすという柔軟な対応が必要となるのだけれど、オンライン授業はそれがかなりやりにくい。一方通行になりがちだという。
もちろん、慣れもあるだろうが、その場の空気感というのは同じ教室に集まってこそ感じられるものである。
というか、勉強ができる子は一人でどんどん学習を進めることができるので、正直授業を受ける必要はない。できない子のフォローこそが教師が必要な理由で、それをしないというのであれば、学校など必要があるのだろうか?
実際に、オンライン授業が続くと学習意欲が低下する学生が多かったそうなので、手軽にできるというメリットと引き換えにするには随分とデメリットも大きい事がわかっている。

デジタル教科書はオンライン授業とは違うのだが、しかし、デジタル教科書を主体にして学習を進めるのだとしたら、教師のオリジナリティは一体何処で出すのだろう?デジタルで別の教材を作り込むのか?それが苦手な教師はどんな工夫をすれば良いんだろうね。
教師が理解できない
そもそも、デジタル教科書のメリット、デメリットというのは、現場に降ろされてきてから始めて教師たちが目の当たりにする問題点がある。
これはどんな時代にも言えるのだが、新しい技術を導入する時には、現場はかなり混乱するのだ。
僕の子供の頃からパソコンは存在して、授業に取り入れようという動きもあった。一昔前にはパソコン室なる部屋が用意されて、子供達がパソコンに触れる機会が作られた時代もあった。
でも、そのパソコンが用意されて、一番困惑したのは、おそらく現場の先生方である。
一方、課題については、「子どもたちも学校側もまだまだ経験が少ない。学生時代にデジタル教科書を使っていない先生たちがイメージが湧くように、研修などで経験を積む必要がある。また、視力などの健康面を心配している先生もいる」と指摘しています。
NHKニュース「デジタル教科書で学校現場はどう変わる」より
ニュースでも言及されているが、導入された段階から浸透するまでにかなり時間がかかるのだが、「何ができるのか」を手探りで探すしかないというのは、どうかと思うのだ。
そもそも、必要なのはデジタル化ではなく教育の質の向上である。デジタル化は手段であって目的ではないはずなのだが、何故か文科省は(以下略
まあ、自分の子供達が学校に用意されたタブレットで「何をやっているか」を見ると、本当に必要なのかは疑問に思わざるを得ないよね。もちろん、メリットだってあることはわかっている。でも、デメリットのほうが大きそうな気がするんだよなぁ。
コメント
木霊様>風車スレにキリル文字?のスパムが沸いてますよ
おはようございます。
ありがとうございました。
最近、スパムが多いのですよ。見つけ次第対処するようにしているのですが。
デジタル教科書、先ずは既存教科書のpdf化平行配布は費用も大したことないし利点も大きいですよね。
教科書本体は印刷物やせいぜい静的pdfとして存在し、サブ教材をインタラクティブ教材に置き換えるのは有効と思うけど、
インタラクティブ教材は教育現場でメンテどころか書き換えチューンナップできないと無駄になりそう。
しかし、現場でこれ実行する方法は昔から変わらず先生方のITリテラシー依存なわけで、
なら英国、ラズベリーパイ財団の方向性、いっそラズパイ財団と提携して
コンピューターを用いた教育とは?それに適したコンピューターは?を実践的に研究するプロジェクトに参加する先生募って、方法から現場で育てるべきじゃないかなあ?
p.s.構想はこれですか
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/seido/1407731.htm
うわあ、数百億円を利権ドブに捨てたとも言われるΣプロジェクトと似た香りがプンプン(笑)
メリットが大きいことは十分理解しています。
子供達の荷物も減りますしね。
ただ、現場が対応できるのか?という点は、非常に懸念事項でありまして。
ご指摘のサイトでも現場サイドのことは何も考えていない雰囲気が伝わってきますが、先生が対応できない状況で可哀想なのは子供達なんですよね。しわ寄せが来ますから。
オンライン授業はコロナ禍の時に兄貴がやっていて、大学ですけれど、生徒の顔は観れるけれど、モニターに多人数がそれぞれ分割で見えるのと、教壇上から全体をみわたして講義するのは別物と。
企業などの目的意識が同じくする集団の小チームで会議するには使えるが、そもそも問題意識が個々に異なる一般の授業で、分割した大人数をモニタリングするのは、反応を観察しにくいと申してましたね。
いっそアバターという形で仮想教室に集められないかなとか愚痴ってました。
あと私は年寄りなので構わんのですが。
ネットでキーワードで検索できると、予備知識あれば関連Wordを並べながら目標へ到達できるのですが、それに慣れると人名や固有名詞がパッ!と出てこなくなる。
記憶力は衰えてないのに、引き出す力が衰えると想うんですよ。まぁ還暦なので脳の退化もあるのでしょうが。固有名詞がパッと出てこなくなる兆候はスマホ・タブレットに頼るようになって顕著に出ましたね。
年寄りはまぁ良いんです。前後関係を把握してれば、出てきそうな事柄、素材、事件、
などから質問を絞り込んでゆけば、その求める情報へ辿り着けますから、脳の退化であれ、テクノロジーへの頼りすぎ退化であれ、「失う能力の代替」ができるのですから。しかし、コレがローティーンとかになるとどうなのだろう?
その後に半世紀は生きなきゃならない。
もしも脳味噌の筋力が衰える結果を産むのならば、最も記憶力も高く柔軟性、受容性がある時期に重用しちゃうと、中年以後に急速に衰えるのでは??
昔、エディタソフトを使う前は、企画書とか原稿用紙にをペンでダーっと書いて、
それをハサミでジャキジャキ切って、セロテープやノリでベタベタと繋ぎました。
それを叩き台にして完成稿にしたもので。
その経験があったので、ライター仕事した時に、勧進帳でテープ録音しても、推敲前に
だいたいの文字数とかを予測できるようになりました。予測できるからテープ起こしながらでも、推敲や編集作業ができるようになってた。逆はないと想うんですよ。
まぁ紙メディア時代に生きてきた年寄りの勘違いなら、その方が良いんですが。
アバターで集められるようになればまた違うのでしょうが、オンライン授業で「双方向」を考えるのであれば7人以下の小規模でないとなかなか。
教室に集めて授業するとなると、30人くらいまでが対応可能な規模だという話。それ以上になると、情報垂れ流しの一方的なものになりがちなんだそうな。
コンピューターの(IMEの)予測変換は、実に優れた機能だとは思います。
が、ご指摘のように確実に機能低下、というか脳機能の活性化を促さないことになりますから、その分野の衰退は避けられないと思います。
悪いことばかりではないとは思っているのですが、トレードオフで失うモノの方が多い気がしてなりません。特に、学習する者にとって、目で見て、手を動かして書く。声に出して読む、耳で聞き取るというような事はとても大切です。目で見て耳で聞くだけになってしまうと、学習効果という意味ではかなり微妙なものになりそうです。
僕自身も紙メディアの時代に生きてきましたから、そういう意識が強いのかもしれませんけれど。
デジタル教科書時代に、子どもたちはちゃんと漢字の書き取りをやるんでしょうかね。
自分はキーボード主体の生活になって、筆記する機会がめっきり減り、漢字もうろ覚えに..
効率性ばかり追求しても、大事なことを取りこぼしては意味もないかと。
僕自身も仕事は完全にPC依存になっていますから、文字を書く作業はめっきり減りました。
その弊害が、漢字を書こうとしても、ぱっと字が出てこない。
文字に触れる機会が多いので、読むことは大丈夫ですが、読めても書けないという情けない状態であります。
若年層がそんな風になってしまうのは、不憫です。ディスプレイに向かって文字を書くのは、学習効果あるんでしょうかね?
自分の子ども時代には、頻繁に漢字テストがあったので、裏紙に何度も書いて、
腕の筋肉に覚えさせたものでした(笑)
大学では、パワーポイントと配布プリントを使って授業をする先生がいました。
先生も学生も楽チンでしたが、授業の進行が早く、理解に苦労した覚えがアリマス。
昔「書いて覚える」は、記憶の定着に効果があるとかいう話が、あったような、
なかったような。
子供の頃は、「何度も同じ文字を書くことに何の意味があるのか」と憤慨していましたが、アレにも意味はあったのだと思いますよ。
そのうち電子データで宿題を出される時代が来るかも知れませんが、電子化して良い部分と悪い部分はあると思います。その辺りは現場の対応力に任されるのでしょうけれど。
こんにちは。
うちのガキンチョが車の免許の教習やってますが、座学はオンラインもあるのだそうですが、「教科書に要点メモ書き出来るリアル講習じゃないと何も頭に入らない」だそうです。
やはり指動かさないと脳が活性化されないのでしょうね。
デジタル化やオンライン化を否定はしませんが、適材適所、使いどころは考えないと。
こんにちは。
案外、学習環境というのは大切ですから、「勉強できる環境に身を置く」ということも、学習させる必要はあるように思います。
学習すること自体はオンラインでも出来ますが、学習の仕方は実体験をしないと身につきません。
その辺りはしっかりと考えて欲しいですね。